
動物を殺す事、昆虫を殺す事の差と、植物を殺す事の差。
動物を殺す事、昆虫を殺す事の差と、植物を殺す事の差。
食べ物以外の動物を殺す事には比較的「意味」を持つ事が多いと思いますが、
虫は比較的多くの人が平然と殺しますよね。
私も殺さない訳ではないですが、害を及ぼさない限り、
足が折れたりもげたりしないようにそっと外に逃がしてますが、
家族は平気で叩き潰します。
そしてそれと同じ次元なのか違う次元の話なのかわかりませんが、
綺麗な花を見つけて摘む=花を殺す と思えるのは私だけでしょうか?
植物の命の定義は色々ややこしい様ですが、
私は摘む事と殺す事が同じに思えてしまい、
倫理的に問題がない人でも、見ていて何も感じないのか?と疑問に思います。
人間にとって、人間以外の命とは何なのでしょうか?
何でこの価値観は個人差が有るのでしょうか。
投稿日時 - 2010-03-15 00:17:46
まず回答の答えに入る前に私の価値観を…私は口にする物にも命が宿っていると思っています。ですから命の価値観はその人の生活環境に比例してくるものだと思っています。人間以外…の問いは私の意見ではないのですが、こんな話は聞いた事があります。それは:利用出来るか出来ないか:だそうです。
投稿日時 - 2010-03-15 01:05:54
ご回答ありがとうございます。
>私は口にする物にも命が宿っていると思っています。
ですね、、あまりに意識すると食事が辛くなるので、残さず食べる事だけ
意識するようにしております;
>:利用出来るか出来ないか:だそうです。
なるほど、その生き物をかわいいと思う人は、
虫でも爬虫類でも大切にしますし、逆の人は殺すのでしょうか。
ご回答、ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-03-15 11:58:09
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回答(6)
>何でこの価値観は個人差が有るのでしょうか。
浅はかは浅はかなりに
海よりも深ければ深いなりに
自然から切り離された人間の意識の深度の違いでしょう。
路傍で健気に咲いている一輪の花を摘んで
活けてみるってのはどうなんでしょうね。。。
花は何のために咲いているのだろうか。。。
繁殖のため虫が好むようにかな?
花を咲かせ実を結ぶために全生命をかけて咲きながら
何ものも見つけることのなかった花を見つけて奇麗だと思い活けてくれる意識があった時
花は何を感じるのだろう。。。
投稿日時 - 2010-03-15 20:50:07
多少美術に興味があるので、
無駄に豪華じゃないフラワーアレンジメントの美しさとかは
何となくわかる気がします。
室内に花を飾る事でその空間が和む事もわかりはするのですが・・
ペットとして飼われる動物は本来したかった自由が無くて
それが無い事を当たり前として生きて幸せなんだろうか?
花にもそんな感覚が沸くというのか。
自分の欲求の為に、命ある物の価値をみなし束縛する事は
他の人がしているのをあえて否定はしませんが、
自分はしたくない・・のかもしれません。
植物なら鉢植えで買ってきて飾るなら平気かもですし、
私の中でも何かと矛盾が有りそうですね・・。
鉢植えの花もなんとなく咲く場所を選べず不憫に思ってしまいますが;
ご回答、ありがとうございました。
投稿日時 - 2010-03-19 14:57:46
仏法実践者として答えます。仏法者は動物だけでなく花や木もできるだけ殺さないようにします。
また物質的にも必要最小限どのものしか持ちませんし、持ち物は大事にします。それがその命を生かすことになるからです。財布やかばんなどという一見命を宿していないものでもです。
人間から考える視点で呼吸してないから生きてないから命はないといえないでしょう。石や鉄の鉱物だって生きているのです。凡夫でそれがわからないのです。ここが仏法と宗教との大きな違いでしょう。
宗教は動いているものだけを生物で、ものを粗末にしても宗教者として大きな顔をしている人は大勢います。また牛や豚を食べながら鯨を殺すなと言う矛盾も平気でしたりします。
あなたはいい心がけをしていますのでそれを持ち続けてください。
投稿日時 - 2010-03-15 12:40:33
ご回答ありがとうございます。
物にも命・・何となく愛着があるものはわかりますが、
わかるようなわからないような・・。
ご回答ありがとうございました。視点として参考になりました。
投稿日時 - 2010-03-19 14:49:22
あくまで私の考えですが、私自身は人間・・・というより自分に関わる生物以外の命を特に意識したことがありません。
そうしなければ、食べるものも食べられず、飲むものも飲めなくなり、道を歩くときも足元を気をつけて歩かなければならなくなるからです。
なので、野良の犬や猫が轢かれて死んでいるのを見た場合、可哀想という意識はあってもあくまで同情であり、それ以上でも以下でもありません。
一般の場合、学校教育や家庭環境で「虫」より「動物」のほうを大切にしているのではないでしょうか?
命の価値などの論理でなく、
たとえば教室に迷い込んできた「ハエ」と「スズメ」に対する実際の対応の違い方などです。(大概、ハエは叩き殺してスズメは逃がすのではないでしょうか?)
そういう環境において、自分が意識しないうちに「人間」>「動物」>「虫」という考えが出来ているのではないでしょうか。
植物の場合、生きているのは事実ですが、動きとして目に見えないため、あくまで「物」として認識しているからでしょう。
それに、植物の場合は切られた部分は「死」んでしまいますが、根につながる部分は「生」きていますから、余計に「殺す」という意識につながらないのだと思います。自ら葉を落としたりするわけですし。
価値観は育ってきた環境と捉え方に大きく左右されます。
特に捉え方は、個人差の大きな原因になっているのでしょう。
問題ない家庭に育ってきた人間ですら同じ人間の命を簡単に奪う時代ですから。
そういう人間にとって見れば、人間・・・自分以外の命などカスにも劣る存在に見えているのでしょうが。
投稿日時 - 2010-03-15 02:19:04
>そういう環境において、自分が意識しないうちに「人間」>「動物」>「虫」
>という考えが出来ているのではないでしょうか。
なるほど、確かに育った環境でそうなるのかもしれませんね。
>>植物
>動きとして目に見えないため、あくまで「物」として認識しているからでしょう。
次の世代を残そうと一生懸命咲いている花を摘むのは
何かとても非情に見えてしまうのは、うーん・・何故だろう。
普通の人にとっては確かに、物としか見てない気がしますね、
野菜を収穫する事を喜びにする人が
花を摘んでいる光景・・何か自分の中でも色々矛盾が有りそうです。
価値観は本当に大きな差が有るのですね。
育った環境、育まれた価値観。育った過程で十人十色の価値観が生まれる
という事なのでしょうね。
ご回答、感謝です。
投稿日時 - 2010-03-15 12:04:50